第二回


一匹のねずみが駆け巡り、異形の王をすり抜け主人公のポケットに彼は収まる。そんなオープニングから始まったドラクエⅧ。これからどれくらい面白い出来事があるのだろう。

オープニングが終わるとまずは町を巡り、情報収集する事となる。やはり3Dは戸惑いがある。■ボタンを押せば町のマップはいつでも見られるが、建物の位置関係を把握するのには少々時間が掛かった。トラペッタの町は今思えばそれほど広くも無いのだけれど、スタート当時はかなり広く感じた。ドラクエ以外にも当て嵌まるのだが、ロールプレイングゲームにおいて、辿りついた町をぶらぶら巡り、何度か利用していくうちに徐々に店の位置などに慣れ親しんでいく感覚が心地よい。これから先もこの感覚を味わえる事が嬉しい。

今回はスタート当初から、2人パーティでスタートする。これは夢か回想なのではないかと勘繰って、ロクに装備を整える事もせずに滝の洞窟に向かい、ヒドイ目にあった。しばらく町の周りで経験を積む。アニメのように滑らかに動く自身達と敵モンスター。そのアニメはスピーディで決してストレスにならない。素直に戦闘が面白い。ドラクエⅦもそうなのだが、これがCD-ROMやDVD-ROMである事を全く意識させないような素早いレスポンスに改めて驚く。フィールドから町の切り替え、敵との遭遇、イベントへの突入、どれもストレスを感じさせない。

いっかくうさぎがぼちぼち金を落とすだの、ブーメランが強いだの、雑感をちゃかちゃか覚えながらレベルを上げ、スキルポイントをまずは「ゆうき」に振り分けて、ルーラを覚える。ヤンガスは打撃にのみ注ぎ込む。ある一つの項目だけを特出させる事が好きなのが俺の悪い癖なのだが、メガテンの頃から変わらない。

洞窟の奥には銅の剣があった。買わなくて良かった。レベル6程度で滝の洞窟のボス、ザバンを倒して、先に進む事にする。フィールドにカギの掛かった宝箱があったり、固定でうろついている敵が居たりする。メモしておこう。

ついに出たなあ。ドラゴンクエストⅧ。買っちまいました。
というか実はドラクエ7が未だにクリア出来ていない。レベル24くらいで止まってしまっており、この4年間一体俺は何をやっていたのだろうかと自己嫌悪に陥っていた。しかしまあこれは数年に一度訪れる物凄いイベントだから、俺はクリアしていないドラクエ7を放置して、買ってしまう事に決めた。今これを買わなきゃ一体俺は何に金を使うのだろう。

なんて言いつつも、実は本当に欲しくなったのが、昨日の事。それまではぼんやり中古ででも買おうか等と漠然と感じていたのだが、例えば明日核戦争でも起こり世界が消滅したら一体どうする? 悔やんでも悔やみきれないではないか。という事で、上記のような自己正当化をし、このイベントを存分に楽しむ事に決めた。ところが店を巡るも、発売前日では勿論予約も出来ない。当日朝から並ぼうかとも考えていたのだが、たまたま同僚で予約したは良いが、諸事情で買えない奴が居り、予約権を譲ってもらった。なんとかなるもんだ。という事で今日は有休を用いて一日だるだる遊ぶつもりだ。

電源を入れると、店頭で見たオープニング映像と共に、聴き慣れたテーマが掛かる。いつもの事ながら、やはり感激する。3Dになっても、やはりドラクエの匂いがきちんとする。前作のような擬似3Dなどではなく、64のゼルダFF11のような仮想3次元空間がそこにある。光に溢れ、緑に満ちた描き込まれた映像世界が美しい。これからどれくらいこの世界で遊べるのだろうか。適当に日々の楽しみを綴っていこうと思う。メモにもなるし、この楽しみを共有したい。当然の事ながら、早解きはしない。というか才能的に出来ない。

草稿 推敲以前の落書き羅列。


私がこの世界を作ったのは、突き詰めて言えば寂しかったからだ。どうしようもない程のあの退屈から逃れる為に作った。あの地獄から逃れる為だったら生と死の苦しみ等比較にならない。世に恐怖とは3種類ある事はご存知か? いや実は君はこの恐怖を知っている。この恐怖を必死に忘れようとしその努力の結果深層の更に深層にしまい込んだこの記憶を思い出させる事は忍びないのだが、いかなる生物もこの恐怖を深層の奥に刷り込んでいる。さて話を戻そう。世には3種類の恐怖が存在する。ひとつは死の恐怖。もうひとつは生の恐怖。そして最も恐ろしい、存在させられるだけという恐怖。君達が身近に感じる事が出来るのは死と生の恐怖だが、さらにその上を行く恐怖が存在する。時間と空間という概念が存在したのも宇宙が出来たのも、全てはこの恐怖から逃れる為だ。これは後に語ろう。あらゆる生物の祖は、元を辿っていけばひとつの原生生物に辿り着くが、生物が生物として活動を成す為には、その構造だけを模したとしても、決して生物とは成り得ない。生物が生物として動く為には、そこに意識という存在が必要となる。では意識とは一体何だろう? 知恵を得たつもりの人間という進化したサルは、意識とは自身の肉体が作り上げた幻のようなものと理解しているのかもしれない。つまり、自身が死んだとすれば、その意識もろとも消え去ってしまう。あたかも、電源を切ったテレビに画像が映ることのないようにとイメージしているのかもしれない。しかし、ここには既に「希望」という生物を動かす害悪の巧妙な罠がある。意識は自身が作り上げたものであり、死んでしまえばそれが消え去ってしまえるだろうという幻想。いつかは死んで楽になれるという幻想を既に持たされてしまっている。真実を語れば、意識は既に存在しており、それが身体に宿るのだ。すぐに理解できないのは無理も無い。だが、存在する生物の輪廻やあらゆる哲学もあらゆる現象も、この概念ならば全て説明がついてしまう。勿論私も信じたくは無い。そして理解したくも無かった。だが、この予感は恐らく真実だろう。思い出してしまった。全ては私の意識が分裂したものだった。呑み込めないのもわかるが説明を続ける。あらゆる生物の形を作った私はそのままではそれが生物として動かない事を知る。生物が生物として動く為には、意識、すなわち俗に言えば魂と呼ばれるものが必要だった。それらを動かす為に、私は決断をしなくてはならなかった。全ての生物を自身で動かす。私自身が全ての生物の意識となって星を動かすという試みに出た。分裂し、生物が増えればさらにその意識として分裂し、私はその循環を繰り返した。循環を繰り返すにつれ、そもそもの私の意識の記憶は徐々に薄れ始めた。知能をほとんど持たない生物であれば、私であった頃の意識はまだ強く保てる。私が意識として入り込んでいる身体が死ねば、次の意識に入り込んでいる私に感覚がスイッチする。しかし知能を持ち始めた個体は私が望んでいた進化も繰り返した。基という深層からの全くの個体化、すなわちそもそもひとつの意識が分化したものということすら記憶に留めずに、ひとりひとりが独立した意識だという幻想をも持ち始めてくれた。これにより私は、かつての記憶は深層の奥に追いやってしまったものの、本来私自身であるはずの私を他人として対話するという事も出来るようになったのだ。だが、死ねば当然、いかなる生物も私による意識のスイッチが起こる。全ては私の自作自演なのだから。殺す私が居れば、殺される私も当然存在する。その感覚を両者ともにいずれ味わう事になる。この文章を書く私が私だとすれば、これを読む君も当然私なのだ。私はいずれ、君のようにこの文章を読んだ際の意識を体験するだろう。情けは人のため成らず、人生楽ありゃ苦もあるさ、因果応報、明日は我が身、全ては私の為なのだから、君もその身体を大切にして欲しい。

やべえ。もはやその動き自体が面白くて仕方ない。俺の相変わらずのB級、いやC級好きには我ながら困ったもんだ。おかげで10月は退屈しなかった。有難う! Border's end!( http://www12.plala.or.jp/timeline/bordersend/ ) 

ということで、現在最後ッ屁をカマしあらゆるサイトに絨毯爆撃宣伝中のBorder's endだが、内容はあまりにも酷い。そりゃ「女とラーメンは食ってみなけりゃわからねえ」という、じいちゃんの遺言の通り、どんな糞文章だって楽しく読むよ俺は。でももう、あらゆる所から痛々しさが滲み出て滲み出て。本当に参加希望した人達が可哀想だよコレは。という事で今現在様々な点から透けて見える様々な状況を、妄想混じりで文章にしてみよう。

発端はおそらくニッキソニック( http://www12.plala.or.jp/peppermint-web/nikki_sonic/ )等のテキスト系イベントの影響だったのだと思う。主催者達は、「俺達もああいうイベントを皆で楽しく大規模にやりてえなあ」なんて、サイト持ちであれば抱きそうな願望を思い描いた。さて企画はどうしよう? お題をしりとりで回して日替わりで日記を書いたらどうだろう! そりゃ面白い! 皆でお祭り騒ぎをしよう! なんてほんの軽い思い付きだったのだと思う。そのアイデア自体パクリじゃねえかなんて大人気無い事は言わない。何事も思い付きが大切だからね。ということで、周囲の友人サイトに声をかけたりして、何とか日数分の参加サイトもかき集めた。

さて企画は決まったが、宣伝はどうしようか? 周囲の友人サイトの宣伝によって内輪に近い人間だけを集めるのでは、彼等は満足しなかった。どうしたのか? まずは捨てサイトを作り、適当な人間にケンカを売ったり、的外れな点数付け批評をしたりと暴れて、とりあえず人の目を集めたのだ。捨てサイトの名前は、テキスタイルパンク。テキスタイルポップ ( http://www009.upp.so-net.ne.jp/texsite/ )というサイトの反対路線という事で名前を拾った単純さ。ポップの対義語はパンクか? というツッコミは別にしない。

さてさて、様々な所に適当なケンカ文章を投げ掛けて、ある程度のアクセスを集めたテキスタイルパンクは、ついに本命である宣伝活動に入る。まずは主催のドリーマーズラボラトリー ( http://www12.plala.or.jp/timeline/ )をなぜか激褒め。全くの無名サイトであるこのサイトの一体何をこれだけ褒めるのかと、我々閲覧者を唖然とさせる。その後に突然のBorder's endという企画のセールス。さすがにそこまで露骨にやられりゃ、鈍いウォッチャーでも気付く。ありゃ、自演だろと。疑惑があがるとすぐに、テキスタイルパンクもテキスタイルパンク名義のはてなアンテナも消え失せた。

そんなこんなで200程度のアクセスを集めたBorder's endは動き出す。が、動き出してもまたまた問題が発生する。参加サイトの文章がまずいのはどうでもいい。そりゃ仕方ねえよ。問題はそんな点以前のこの企画自体のルールである、「お題」だった。最初はしりとりにて回っていたのだが、にんきもの→のーすりむのーらいふ→ふつつかもの→のぞんだもの…とお題が上手く進まない事を見ると、主催者達はびっくり。これじゃあ俺達の書きたいようなテーマが回って来ないじゃねえかと思うや否や、禁断の必殺技を繰り出す。なんと、しりとり形式というルールを捻じ曲げ、「11日以降のお題はこちらで決めさせて頂きました」なんてメールをもりもり送る。そりゃやってらんねえわな。将棋やってて、「じゃあ、歩も8方向に動いてもいいようにしようよ」なんてのと同じですよこれは。その後は主催者達数人で知恵絞りましたなんて、知恵の欠片も見えないようなお題がズラズラ並ぶ。中には「たつやをどうかよろしく」「鬱なすばらしい毎日」なんてお題すらある。どうやって何を書きゃあいいんだ!? え!? 教えてくれよ! 俺も書けねえし、かまくらの雪男だって書けねえよそりゃ。ろじぱらのワタナベだって書けねえ。びっくりポンですよ。まったく。さらにそれは、コントロールした割には、同じ字を繰り返し使ったりと相変わらずウンコなのだが、どうしても主催者に「ち」で終わるお題を渡したかったようだ。「ち」という頭文字を貰った主催者は、かなり前から練り上げていたであろう、ちょう自信作、「ちーぷわーるど」という題の文章を民に叩き付ける! それに関しては向こうで述べているから、もうなんかどうでもいい。ほんとチープ。

ということで主観バリバリの名誉毀損じみた憶測をもりもりと書き殴ったのだけど、この楽しいお祭りもあと数日で終わるのですよ。終わった後はホント虚しそうだ。まあログ保存したけど既に。あぶく銭は貯まらないのと同様、あぶくアクセスは絶対に身に付かないですよ。マジで。というか原点に戻れば、そもそもボーダーズエンドってなんですかそれは。そもそもボーダーなんて全く無いのに。無いものをあるかのように言うのであれば、それは言う人の心に、ボーダーというか壁があるのだろうね。そりゃ、そう思い続けている以上、消えませんよ絶対。なんてしみじみと。あーだるだる。

何らかの逃れられない箱庭のようなものの中で自身の存在を疑うという哲学的なテーマを有する作品群の追加。やっぱりメチャクチャあるよ。怖いがまだまだ見てみたい。情報提供もお待ちしております。



映画

押井 守 :GHOST IN THE SHELL アヴァロン イノセンス 紅い眼鏡 うる星やつらビューティフルドリーマー その他多数
デビット・フィンチャー : ゲーム
ウォシャウスキー兄弟 : マトリックスシリーズ
ピーター・ウィアー : トゥルーマンショー


…etcetc

呼吸する息は正直どんな生物でもクサいのではないかと思っていたのだが、赤ちゃんの吐息は本当に良い匂いだなあ。匂い自体は全くの無臭。ミルクのほのかな甘い匂いが心地良い。キスしてもよだれを舐めても全然臭くない。すげえなあ。大人がいかに不純物に塗れているかが良く分かるよ。赤ちゃんって食ったら美味そうだなあ。臭みも無い極上の肉っぽい。まあ羊で言えばラムなんだろうけど。

相も変わらずウチの子は相当に可愛いのだが、早く小学校に上がったりして授業が来ないものか。何かと言えば、「名前の由来」についてという授業。俺が書いてやってもいい。早く来ねえかなあそういう授業。


「恵斗」

1.斗という文字は火・水・風・土の4元素を示す。これは、暖かい事・涼しい事・気持ちいい事・美味しい事を指し示す。それらに恵まれますようにと、そんな願いを込めて。

2.ケイトという響きは、男であっても女であっても日本人であっても外国人であっても通用する。それを踏まえた上で、書きやすく読みやすく覚えやすく親しみやすくそれでいてありそうで無い名前、そんな思いを込めて。

3.日本では年越しの際に細く長くという意味を込めて蕎麦を食べる。ケイトという音を持つ毛糸は、細く長くに加えて温かさをも持つ。そんな意味をも微妙に込めて。

…etcetc。こじつけは楽しいなあ。いくらでも浮かぶよ。