放置している件を冒頭の書き出しに持ち出す事も、もはや何だか。

現在はロマンシングサガ ミンストレルソングが物凄く熱く、当分ゲームに困らない。
今はグレイで3周目だが、まだ飽きる事はなく当分情熱は冷め遣らない。ここ(http://romasaga.minstrel-song.net/)やここ(http://www.game-de.com/roma/)のような素晴らしい情報を集めた有用な攻略サイトを活用しつつ、日々数時間単位でゲームに勤しむ。

サガシリーズの根底にはある種のテーマがある。サガシリーズ、いやここは、シリーズの原点にのみ焦点を絞る。ここでは、魔界塔士 SaGa(GB)とロマンシングサガSFC)を原点として指す。話を戻す。「サガ」の根底にはある種のテーマがある。それはすなわち、「生物は神と運命に逆らえない」という事だ。
魔界塔士 SaGaでは、塔の最上階に居る神から、それまでに起きた全ての出来事は全て神の創ったゲームだと告白され、創造主である神を殺してエンディングを迎える。殺した後に主人公達はその先にある扉を眺め、「いこう! おれたちのせかいへ!!」と言う。
扉の先にあるものは何か? その先にあるものは、隠しダンジョンでもクリア後のお楽しみでも何でもない。今我々が生きている、この現実世界がある。最後のセリフはプレイヤーに向けられたものであり、単刀直入に言うならば、「ゲームをやめて、現実へ帰れ」と言っている。魔界塔士 SaGaにて作者が根底に込めたかったテーマとは、「この世の全ては神だけが楽しむ為に創ったゲームであり、決して神に逆らう事など出来ないが、せめてゲームの中だけでも神をぶっ殺してやる」という作者の強烈な神観を感じさせる。神を冒涜している訳ではなく、むしろ嫌になる程その存在を認めているが故での、せめてもの「物語」なのだ。
この作者の強烈な神観は、勿論ロマンシングサガにも受け継がれている。それはさらにより巧妙な隠され方をして。ロマンシングサガの世界を軽く述べよう。マルディアスという世界があり、その中では神々の長、エロールという神と悪の三邪神 デス シェラハ サルーインという兄妹が争っていた。長い戦いの後、悪の三邪神は封印された。だが1000年の後、三邪神が復活しそうだという。それを何とかするのが、ロマンシングサガにおける主人公達の役目だ。
この世界の中では、「人はエロールの作ったもの」だと伝えられている。ゲーム中の重要なイベントにおいても、人は「エロールの子」と呼ばれる。しかしゲーム中の作中人物達も、勿論そんな事は認めていない。神なんて居ないと思っている。だが、その存在を認めざるを得ない要因がストーリー上で次第に現れてくる。それは「かつて神々の戦いの際、エロールが作り人に託した特殊な力を持った10個の宝石」というこの世界でのおとぎ話に現れる、ディステニィストーンの存在によって。それを実際に手にし、それを巡る内紛に巻き込まれ、その具現化された物質を得た主人公達は次第に、この世界に神は居るという事を確信し始める。
ゲーム中にて、「人は、エロールが争いに使う為に創った道具」だという。モンスターは「サルーインが争いに使う為に創った道具」だという。その「道具」が同じく「道具」を打ち倒し、悪の根源たるサルーインという神を殺しに行く。ゲーム中においてエロールは穏やかに主人公達の道標となる。一時的に仲間となって一緒に旅をするくらいでもある。そういう風に創られたからだ。サルーインは1000年の封印の切っ掛けとなった、人間を心の底から憎悪している。そういう風に創られたからだ。エロールは神々の王として光を纏う。そういう風に創られたからだ。悪の化身 デス、サルーイン、シェラハは邪神として、光の神々に対抗する。そういう風に創られたからだ。何を言いたいのか? 先ほどは会えて書かなかった、ロマンシングサガの世界について補足する。マルディアスという世界があり、その中に神々の王としてエロール等が居り、邪神としてサルーイン デス シェラハが居るのだが、それ以前の前提として、マルディアスという世界自体を作ったのは、マルダ―という神だった。絶対的創造神! つまり、エロール達やサルーイン達すらも、マルダ―によって創られたものであり、彼らをそのような性格付けして創った理由はひとつしかない。「争わせたかった」だけだ。争わせて、眺めて楽しむ為にそういう性格に創ったのだ。つまりゲーム! 何という入れ子構造。それによる圧倒的で絶対に届かず逆らえない「神」という巨大で強大な存在の明示。神は人を作り、人は弄ばれる運命に対して自身で意義を見出す為に、人は物語を作る。そうでも考えなくては神の残酷さには耐えられない。神は生き物を弄ぶ。
次は、自慰の如く気持ち良さだけを追求した今回の伊藤賢治の音楽について何かを書こう。