先日から探し始めた『人生のやり直しや魂のループを通じ、「世界は実は神の玩具に過ぎない」という物凄く怖いテーマを有する作品群』の最高峰が物凄く身近にあった。これを今まで読んでいなかっただなんて! そして読みながら感じる圧倒的な恐怖と言ったら!

手塚治虫火の鳥全編

これはもう、物凄い。完璧なまでの輪廻転生と因果応報の話。本当に今更俺が書くのも憚れるが、全編に渡って魂の循環をわかりやすく圧倒的な状況描写にて描く。中でもとりわけ怖いのは、自身が自身を殺しに来てそれを延々と繰り返させられる罪を負った尼のエピソードや未来編全て。未来編は本当に怖い。永遠に死ねない意識の存在となった元人間が神という概念に至るまでの話。物語の中では「5千年が過ぎた」だとか「それからさらに〇〇年が過ぎた」と簡単に描かれるが、想像してもみろ。それだけの年月を、死にたくても死ねず、自殺したくても出来ず、その年月を人がたった一人で過ごす事の「発狂しそうな」という形容詞でも間に合わない程の途方も無い淋しさ、退屈さ、無意味さ、惨めさ、苦しさ、恐ろしさ、俺が何をしたという自問と、この状態に陥れた大いなる意思に対する恨み。本当に怖い。そしてこれは手塚治虫の想像ではなく、実際の現実なのだ。

思うに、世に名を残す何らかの芸術家は、魂と生命の循環を何処かでみて悟ったのだと思う。それは単純に言えば、手塚治虫然り、藤子不二雄然り、荒木飛呂彦然りその他物凄く多数etcetc。それらは魂を持つ存在、つまり我々も記憶の何処かに覚えているはずの自然の概念なのだが、多くの我々凡人はそれらの概念を忘れ去ってしまっている。我々がいかなる宗教よりもまず信じてしまう宗教的概念、「唯物論」という悪に近い思い込みによって。見えないものは何も信じられない? それを言う君の回りに取り巻いて君を生かし続けるのも、見えず形も無いはずの空気によってという単純な事も忘れて。君が使うパソコンというものも、見えず形も無いはずの電気というエネルギーによってという単純な事も忘れて。

話を戻せば、魂と生命の循環を思い出した人々は、何かを残して伝えたいと思うのだろう。その恐ろしさと、その恐ろしさを理解した上で、何をすれば我々は幸せに生を全うして生きられるのかという事を。