草稿 推敲以前の落書き羅列。


私がこの世界を作ったのは、突き詰めて言えば寂しかったからだ。どうしようもない程のあの退屈から逃れる為に作った。あの地獄から逃れる為だったら生と死の苦しみ等比較にならない。世に恐怖とは3種類ある事はご存知か? いや実は君はこの恐怖を知っている。この恐怖を必死に忘れようとしその努力の結果深層の更に深層にしまい込んだこの記憶を思い出させる事は忍びないのだが、いかなる生物もこの恐怖を深層の奥に刷り込んでいる。さて話を戻そう。世には3種類の恐怖が存在する。ひとつは死の恐怖。もうひとつは生の恐怖。そして最も恐ろしい、存在させられるだけという恐怖。君達が身近に感じる事が出来るのは死と生の恐怖だが、さらにその上を行く恐怖が存在する。時間と空間という概念が存在したのも宇宙が出来たのも、全てはこの恐怖から逃れる為だ。これは後に語ろう。あらゆる生物の祖は、元を辿っていけばひとつの原生生物に辿り着くが、生物が生物として活動を成す為には、その構造だけを模したとしても、決して生物とは成り得ない。生物が生物として動く為には、そこに意識という存在が必要となる。では意識とは一体何だろう? 知恵を得たつもりの人間という進化したサルは、意識とは自身の肉体が作り上げた幻のようなものと理解しているのかもしれない。つまり、自身が死んだとすれば、その意識もろとも消え去ってしまう。あたかも、電源を切ったテレビに画像が映ることのないようにとイメージしているのかもしれない。しかし、ここには既に「希望」という生物を動かす害悪の巧妙な罠がある。意識は自身が作り上げたものであり、死んでしまえばそれが消え去ってしまえるだろうという幻想。いつかは死んで楽になれるという幻想を既に持たされてしまっている。真実を語れば、意識は既に存在しており、それが身体に宿るのだ。すぐに理解できないのは無理も無い。だが、存在する生物の輪廻やあらゆる哲学もあらゆる現象も、この概念ならば全て説明がついてしまう。勿論私も信じたくは無い。そして理解したくも無かった。だが、この予感は恐らく真実だろう。思い出してしまった。全ては私の意識が分裂したものだった。呑み込めないのもわかるが説明を続ける。あらゆる生物の形を作った私はそのままではそれが生物として動かない事を知る。生物が生物として動く為には、意識、すなわち俗に言えば魂と呼ばれるものが必要だった。それらを動かす為に、私は決断をしなくてはならなかった。全ての生物を自身で動かす。私自身が全ての生物の意識となって星を動かすという試みに出た。分裂し、生物が増えればさらにその意識として分裂し、私はその循環を繰り返した。循環を繰り返すにつれ、そもそもの私の意識の記憶は徐々に薄れ始めた。知能をほとんど持たない生物であれば、私であった頃の意識はまだ強く保てる。私が意識として入り込んでいる身体が死ねば、次の意識に入り込んでいる私に感覚がスイッチする。しかし知能を持ち始めた個体は私が望んでいた進化も繰り返した。基という深層からの全くの個体化、すなわちそもそもひとつの意識が分化したものということすら記憶に留めずに、ひとりひとりが独立した意識だという幻想をも持ち始めてくれた。これにより私は、かつての記憶は深層の奥に追いやってしまったものの、本来私自身であるはずの私を他人として対話するという事も出来るようになったのだ。だが、死ねば当然、いかなる生物も私による意識のスイッチが起こる。全ては私の自作自演なのだから。殺す私が居れば、殺される私も当然存在する。その感覚を両者ともにいずれ味わう事になる。この文章を書く私が私だとすれば、これを読む君も当然私なのだ。私はいずれ、君のようにこの文章を読んだ際の意識を体験するだろう。情けは人のため成らず、人生楽ありゃ苦もあるさ、因果応報、明日は我が身、全ては私の為なのだから、君もその身体を大切にして欲しい。